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PASSAGE – 遊歩する感覚へ

スピード、溢れ出る情報、止めどない消費……。
アート、ファッション、映画、音楽など、あらゆるジャンルが交差し、そして結合する場所。
異種同士の混合が、別のものへと変異を繰り返す、猥雑なアジア的混沌とも異質な、
パブリックとプライベートの境界までが曖昧に溶解する街。

街にはさまざまな人々が集い、それぞれの感性が、静かに相互作用する。
新たな刺激は、その時静かに生まれ出る。
発信装置としての街ではなく、発信者たちが遊歩する場所としての街。

ロゴスギャラリーが若手アーティストを紹介するシリーズの第2弾。今回は弱冠23歳の写真家原田晋の写真展です。

原田晋は1980年生まれ、2002年に東京綜合写真専門学校を卒業。昨年より本格的な発表活動始めたばかりの若手作家です。原田の写真作品は、一見するとカラフルで曖昧ないわゆるピンボケ写真のように見えます。個々のイメージに写し撮られているのは、人の顔、世界の名所旧跡や観光地、宇宙空間、鳥や草花など、様々な光景の断片の集積です。しかし、実はそれらは原田が実際に足を運び目にした光景ではありません。彼が作品制作のために一心に見つめ続ける対象は、人間でもなければ風景でもなく、あるいはある特定の時代の社会でもなく、もちろん、情感を高める可憐な草花でもありません。彼が見つめ続けるのは、部屋のなかでポツンと発光し続けるTVモニタです。そして、原田はTVモニタの前でシャッターのための一瞬をひたすら待ち続けるのです。

実際に足を運んだことがないにもかかわらず、モニタを通じての経験が日々蓄積されていく…。この奇妙な撮影行為は、わたしたち現代人が生きている世界そのものの奇妙さにも通じています。電子ネットワークのさらなる充実によって、映像はますます手軽に、どこででもアクセスできるようになりつつあります。現代社会を生きる人間の目に映る風景は、大半をそうした映像に置き換えられつつあるといってもよいでしょう。そうした現代を生きる人間のひとりとして、原田は、TVモニタのなかを日々、凝視し続けているのです。

モニタのなかに浮かんでは消え去っていく光景に目を凝らすという行為。それは、かつてドキュメンタリー写真家が、街角や戦場で、目の前を流れ去っていく光景に懸命に目を凝らしていたのとも共通する行為です。表面的にはモニタという、写真の被写体としては奇をてらったかのような対象を扱いながら、リアリティを重視するオーソドックスなドキュメンタリー写真の方法論に拘る原田の作品は、いつしかこれまでの写真にはない不可思議な浮遊感を漂わせると同時に、映像による代替というかたちで頼りなく蝕まれていくリアリティを告発するという意味において、きわめて重要な重みを身につけはじめているはずです。

http://www.parco-art.com/web/archives/logos/harada/

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